Queer(クィア)ってなに?


「変」ってなんだろう?

 Queerは「奇妙な」「変な」という意味です。「変」というのは「ふつうとは違う」ことですよね。では「ふつう」とは? 「ふつうの恰好」「ふつうの振る舞い」「ふつうの人生」というときの「ふつう」は当たり前、当然、というくらいの意味でしょう。

 しかし、これが誰にとっての当たり前なのかが問題です。わたしたちは全員が「ふつう」でしょうか。学校にも、会社にも、社会にも、どこにも「変な奴」はいるでしょう。しかし、そもそも「みんな」に含まれない人はいないでしょうか?

 例えば「あの人とはノリが合わない」からといってなんとなく付き合いが遠のいたりすることや、挨拶をしない人、結婚したのに子供がいない人などの、ちょっと「変な人」に「なんで〜しないの?」「“普通は”〜だよね」と聞いたりすることはないでしょうか。

 

「ふつう」ってなんだろう?

 「ふつう」という言葉は、ときに人を排除します。また、わたしたちは自身が排除されないために「ふつう」になろうとすることがあります。これは「規範」といってよいでしょう。ですから、これに馴染めない人、違和感を覚える人がいるのは当然です。

 「性」も同じです。自分の生まれた性と現在の性が「男性」か「女性」で一致していること(そういう人を「シス・ジェンダー」と呼びます)。また女性は男性を、男性は女性を恋愛対象とすること(これを「ヘテロ・セクシュアル」といいます)。これらが性の「ふつう」です。かつて、そうではない人(セクシュアル・マイノリティ)が「普通でない」という意味でQueerと呼ばれていました。Queerは「変態」や「おかま」という差別用語だったのです。

 

私たちはみんな「クィア」?

 しかし、そこでLGBTQの当事者たちはQueerを自ら名乗りました。「自分たちは変態だ、それで何が悪い」という態度をとったのです。そして「ふつう」の規範は絶対ではない、と主張しました。「今の規範が未来もそのままとは限らないし、今は「ふつう」のひとも明日にはそうでなくなるかもしれない」「私たちはみな、自分のなかにある「変」をなかったことにして、「ふつう」のふりをしているんじゃないか」「ほんとうの自分の心、身体、愛する人、また自分の望むセックスが(セックスを望まないことも含めて)どれほど「変」でも、肯定しよう」。Queerの言葉はこうしたメッセージとともに生まれ変わったのです。それは「ふつう」と「変」の境界線を揺るがすこと。私たちそれぞれのアイデンティティを変えることです。

 

 

 かつて、セクシュアル・マイノリティは「変態」と蔑まれていました。差別的な状況は、今、どれほど変わったでしょうか。日本でもLGBTQという言葉が少しずつ知られるようになりました。Queerの理念が大切だからこそ、まずはセクシュアル・マイノリティに関わる状況をみなで知る機会を作りたい、と私たちは考えます。